しらとりかよこ のブログ

思うこと。思い出すこと。忘れそうなこと。

心の闇・・・を語ってみました。

 

 

 

たまには、というか

開き直って、というか

 

ネガティブな

心の闇を 書き綴ろうと思うので

 

闇に 引きずられる

嫌な 予感がする というひとは

スルーしてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宗教では

 

悪いことをすると

地獄に 堕ちるとか

 

得を積まないと

畜生道に 堕ちるとか

 

洋の東西を問わず

戒めとして 伝えられているけれど

 

 

 

それは

『 だから、悪いことをしてはいけないよ 』

という意味だけでなく

 

『 自決しても、続きがあるからね 』

という戒めでもある。

 

 

 

要は、

自決を 阻止するための

予防措置だ ということ。

 

 

 

 

 

 

 

私の 場合。

 

 

 

特定の 宗教を

信心している わけではないし

 

宗教や 倫理観を

習得していた わけでもないけれど

 

小学生の頃から

 

生きているのは 嫌だ

と 思っていたのだけれど

 

 

 

 

 

どういうわけか

 

この世の 続きはある

あの世は 存在する

 

と 確信を 持っていたので

自決することは なかった。

 

 

 

だって、来世が

今生よりイイとは

限らないから。

 

 

 

 

 

 

 

そして それは 今でも

 

私の 自決防止の

ストッパーとなっている。

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに。

 

 

 

 

 

自決するのに

さしたる理由は、無い。

 

 

 

 

 

とにかく

ココに居るのが 嫌なのだ。

 

 

 

イジメに 会っているとか

身体的苦痛を 抱えている

という わけではなくても

 

 

 

ココは 自分の 

居るべき 場所ではない と思うのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時折 目にする

 

小学生や 中学生が 自決した

というニュースで

 

 

『 なぜ、小学生で

そんな事をするのだろう 』と

世間の人たちが 疑問に 思ったり

 

 

『 学業も 人間関係も 何も

問題を 抱えていなかったのに なぜ? 』

という 親や 友達の 証言があったりとか

 

 

 

周囲には 謎を 残したまま

自決する ケースがあるけれど

 

 

 

・・・

 

 

 

私自身に

照らし合わせてみると

 

 

 

 

 

たぶん、

 

それは 当の本人も

はっきりした理由は

分かっていなかったのだと 思う。

 

 

 

 

 

理由は 分からないけれど

『 ここは 自分の居るべき 場所じゃない 』

という気持ち。

 

 

 

もう少し 具体的にいうと

 

『 自決するほどの 理由はないけれど

生き続けるだけの 理由も見つからない 』

 

 

 

『 自決するほどの 理由はないけれど

生き続けるために 耐えうるだけの

根拠が 見つからない 』

 

という気持ち。

 

 

 

 

 

 

 

で、

 

 

 

こういった 出来事のあとに

 

『 親が 悲しむとは

考えなかったのだろうか 』とか

 

『 なぜ 周りに

相談しなかったのだろうか 』とか

 

 

もちろん 周囲の人たちは

阻止できなかったことを

悔やむのだけれど。

 

 

 

 

 

『 自決するひとは、その瞬間は

周囲のことなど 眼中にないのだろう 』

 

と 言われたりも

するのだけれど。

 

 

 

 

 

必ずしも

『 全く 周りが 見えていなかった 』とは

言い切れない と思う。

 

 

 

 

 

むしろ、

 

 

 

『 この先

何十年か 生き続けて

 

経済的、精神的負担を

親に 負わせ続けるのは 申し訳ない 』

 

と 思うことも 

ある。

 

 

 

 

 

事実、

私は 中学生の頃

そう思っていた。

 

 

 

 

 

そんな私が、なぜ

今も 生き延びているのかというと

 

 

 

 

上記のとおり

 

『 来世が

今生より 良いとは 限らないから 』

 

 

 

そして それは

『 この世の続きはある 』

と 確信しているから。

 

 

 

 

 

相変わらず

 

目に見えない存在が

見えるわけでも 聞こえるわけでも

ないのだけれど。

 

 

 

 

 

 

 

本題に入ろう。

 

 

 

いや、こここからが

本題なのだが。

 

 

 

 

 

 

そんな私が

なぜ、今に至るまで

生かされているのか? という疑問。

 

 

 

思い返せば

 

事故に 巻き込まれても

おかしくないような 生活環境だったり

 

大きな事件に 会いながらも

難を逃れてきたり

 

 

 

 

 

限られた 地球上のスペースで

 

この世に 生まれ 出たい

この世に 生き続けたい

 

という存在が

多々あるなかで

 

なぜ 私ごときに

この場を 確保してくれるのか?

 

 

 

 

それを考えると、甚だ

申し訳ない気持ちに

苛まれるのだけれど

 

 

 

 

 

それだからこそ、尚更

『 私には 何か やるべき事が

あるのではないだろうか? 』

 

と思いながら

模索すること ン十年。

 

 

 

ときおり

『 私は なにも 成しえて いない 』

という焦燥感に 駆られる。

 

 

 

そう言いつつも

 

あいかわらず

惰性の 人生を

送り続けているのだけれど。

 

 

 

 

 

時折

『 生きているだけで イイんだよ。』

と言ってくれるひともいるけれど。

 

 

 

直接的に

言葉をもらうのでは無くても

『 生きてるだけで 丸もうけ! 』と

 

肯定する 言葉を

目にすることも あるのだけれど。

 

 

 

 

 

それでも、

 

この歳になっても、

 

『 なぜ 生き続けるのだろう 』と

考えずには いられないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう

20年近く 前だったと思うが

 

 

 

通勤電車で

地下鉄に 乗っていたとき

 

時間調整で 

ホームに長らく停車していたとき

 

 

 

駅のホームの キオスクの

店舗の背面に ポスターが貼ってあって

 

 

 

店舗背面

一面の 巨大ポスターで

 

演劇関連の ポスターだったと思うが

セリフ文字だけが

印字されたもので

 

車中からも

その文字が 読み取れた。

 

 

 

 

 

 

 

生きていることに

意味なんて

ないのだ。

 

でも、

 

意味を

探さずには

 

生きていけない

人間も いるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

もうね、

苦笑い よね。

 

 

 

 

 

これも

 

『 なんだか、見透かされている 』

と思った 出来事

なのでした。

 

 

 

スピリチュアルに 傾倒する

だいぶ だいぶ前

なのだけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だから、私は

 

 

 

もう ここには 居たくない

と思ったり

 

 

 

何か 人生 成すべきことが

あるのでは ないだろうか

と思ったり

 

 

 

何も 考えなくていいから

とりあえず 人生楽しく

過ごせばいいんだ

と思ったり

 

 

 

そんな 思いを

逡巡していくのが

 

結局は

王道なのか

と 思ったり。

 

 

 

 

 

あいかわず

傍から見れば

 

『  情緒不安定 』

なのだろうなー・・・

 

という

存在です。

 

 

 

 

 

 

 

・・・なんだかねー

 

 

 

当初、自分が

書きたいと思っていた内容と

若干 方向が ズレているのだけれど

 

 

 

書かされた感が

強いのだけれど

 

 

 

・・・致し方なし。

 

 

 

 

 

なので

また 続きを 書くかも ね。

ヽ(・ _・)ノ